(1)兵庫県歴史学会(1948年~2003年まで活動)
戦前からあった歴史学会の流れを受けて1948年に兵庫県下の高等学校教員によって再建設立された学会である。戦前の活動については講演会や巡検などが行われたようであるが詳細は不明。当初は小・中学校・大学の教員も含めた形の学会を模索したが先行組織として高等学校の社会科教員によって再建設立された。その後小・中学校、大学教員の会員としての参加はなく高等学校の社会科(特に歴史担当)の教員が中心となって研究会を運営した。1955年に研究会誌である『兵庫史学研究』を創刊。多くの社会科歴史担当の教員が論文を投稿した。専門性を向上させるために会員の研究発表や論文の投稿を奨励した。また京都や奈良などの文化歴史遺産を中心に巡検を重ね、さらに大学の研究者を招いての講演会を実施するなど教員の資質向上に寄与した学会である。なお兵庫県教育委員会との関係から「兵庫県高等学校教育研究会歴史部会」という名称も使われた。2003年に発展的に解消された。
『兵庫史学研究』は創刊号から48号まで発行された。会員数は400名~450名で推移。
(2)兵庫県社会科研究会(1949年~2003年まで活動)
文部省が民主主義を日本に定着させるために新しく設定した科目が社会科(一般社会)である。その趣旨説明のため昭和23年に各都道府県から代表者を東京に招集し趣旨説明をおこなった。この時説明会に出席した兵庫県の代表者たちが中心になって社会科という新しい科目を研究する必要性を痛感し兵庫県社会科研究会を設立。最初から高等学校の社会科研究を主眼としたため、研究会は高等学校の社会科教員によって運営された。研究会には熱意ある教員が参加し、1954年創刊の『兵庫県社会科研究会会誌(紀要)』には多様性に富む論文が掲載された。歴史、地理、公民関係の論文はもとより社会科教育、歴史教育、地理教育、公民教育さらに教育学に関する論文などが掲載された。特に公民系の論文が数多く掲載されたのが特徴である。
また兵庫県下の諸地域を巡検するとともに、大学教員などを講師に招いて講演会などを行った。授業研究にも力を入れ授業開発や実践報告会などが定期的に行われた。兵庫県教育委員会との関係で「兵庫県高等学校教育研究会社会部会」の名称も使用された。研究会誌(紀要)は50号まで発行された。会員数は500名~550名で推移。2003年に発展的解消が行われた。
(3)兵庫地理学協会高校部会(1947年~2003年まで活動)
昭和22年に大学教員を中心に結成された。当初より小・中・高校の教員、一般の地理愛好家の人にまで門戸を開き地理学発展のために創設された研究会である。またこの主旨にそって名称も学会ではなく「兵庫地理学協会」と名づけられた。研究紀要『兵庫地理』には大学教員はじめ大学院生、高等学校の教員の論文が数多く掲載された。兵庫県高等学校教育研究会地理部会では組織ごとこの兵庫地理学協会に参加する形で協力して兵庫地理学協会高校部会として会の運営に携わった。『兵庫地理』は1948年に創刊され、多くの地理を専門とする高校教員が投稿し地理学の発展に寄与した。さらに最近では地理教育の分野の論文が増加してきている。2003年に兵庫県高等学校の歴史部会・社会部会・地理部会が統合して新しい研究会が結成されたために、兵庫地理学協会からは兵庫県高等学校教育研究会地理部会が抜けた形となった。しかし高等学校の地理を専門とする教員の多くは個人会員として兵庫地理学協会に参加しており、また『兵庫地理』は続刊されている。会員数は100名~150名で推移。
(4)兵庫県高等学校教育研究会社会(地理歴史・公民)部会 (2003年~現在)
兵庫県歴史学会を支えた歴史部会、兵庫県社会科研究会を支えた社会部会、兵庫地理学協会に所属していた地理部会の3つの部会が統合されて結成された研究会である。2004年に『兵庫県高等学校教育研究会社会(地理歴史・公民)部会研究紀要』を創刊した。会員数はおよそ550名~600名で推移。研究紀要は毎年発行されている。掲載論文は多様性に富む。旧歴史・社会・地理部会の流れを引き継いで、授業研究会・専門家を招いての講演会、夏の巡検などを実施ししており、兵庫県下の高等学校社会(地理歴史・公民)科の教員の研修を行い資質の向上を図っている。また旧兵庫県社会科研究会の会員顕彰制度である「研友会賞」は、統合後の本研究会に引き継がれた。「研友会賞」の評価は年々高まってきている。